思索の紐 著作権
最近は診療と医師会業務でほとんど出かけられない状態です。
ネットサーフィンしていて気になる話題をひとつ。
JASRACのこと。放送局とJASRCが著作権料をめぐって争っているようです。放送局側が公正取引委員会に独占禁止法に基づく排除命令を求めて、JASRACを相手取って起こした訴えの審判結果です。一度は排除命令が出されたものの、JASRAC側の不服の訴えにより、覆ってJASRACが独占禁止法に触れていないと認定されたのです。このように審判が覆るのは異例だそうです。
新聞の論調は、公正取引委員会がずさんな調査結果に基づいて初めの審判をし、再審でそれを取り消したと、委員会がいい加減だと言いたげでした。
私はそれは複雑な権力構造や駆け引きの結果であろうと推察します。真実はなかなか表には出てこないものです。
そんなことは言ってみれば一時的な金銭の争い(今後の放送局の経営には重大な問題ですが)ですが、著作権というものがはたして本当に音楽のためになっているのかという疑問に思索が及ぶのです。
かつて、大都市だけでなく地方都市にも沢山あった、音楽を売り物にしていた飲食店が、今や風前のともしびです。
また、テレビやお店などのBGMで耳にしていたホンモノ音楽が、打ち込み音楽や、少しメロディを変えて作られた、似て非なるベツモノ音楽に取って代わられています。
お店や放送で音楽を年がら年中流していますと、著作権料の支払いが莫大なものとなり、とてもじゃないが引き合わなくなるのです。特に地方都市で細々と辛うじてやっていたお店は、もちません。結果、ホンモノ音楽に触れる機会が減り、音楽ファンが減り、演奏家の仕事が減るのです。世の中には著作権料のかからないチープな音楽がはびこり、人々は耳が痩せ、音楽文化は豊かさを失います。
25年ほど前、CDが市場に出回りだしたとき、その圧倒的な音質に驚嘆し、家でもお安く気軽に、本格オーディオに負けない音で音楽を楽しめるようになったと、デジタル技術を歓迎したものでした。そのデジタル技術は、今では、こんな結果をもたらし、家でもどこでもチープなお手軽サウンドしか耳にできなくなってしまいました。
ネットで大量に消費されて、どんどん忘れ去られて捨てられていく即儲かるステレオタイプな音楽を作り出す一部の人たちと配信業者に、富が集中する仕組みになりつつあるのです。世界中が。
誰の財布も限りがありますから、高いことを言うと、仕事が減るのです。高いことを言っているのは演奏家一人一人ではありません。彼らの代表を自認するJASRACなのです。
デジタル技術の別の側面は、完璧な複製が簡単にできるということで、これが著作権台頭の大きな根拠になったのです。
はじめは大陸の方で海賊版が横行したのを受けて宣伝された著作権が、私たちの文化の裾野に強い影響を及ぼしています。
私は著作権を巡って不法者との誹りを受けたくありませんから、料金を払って、商業用の有線放送からそこそこの音質で、ホンモノ音楽を流しています。ですから診療時間中にCDを医院で流すことはありません。コストに問題が出てきたらラジオに代えるしかありません。
捨てる神あらば拾う神あり。最近普及しつつあるインターネットラジオは、贅沢を言わねば安定した音質です。それともシ〜ンと静かな診療所も悪くないかもしれません。
『高いことをいうと仕事が減る』のは、普遍的なことです。日本をはじめ、先進国の苦悩の元かもしれません。
写真は昨年秋、京都祇園でお掃除中のおばあさんを撮らせていただきました。一応お声をかけてお許しを得まてますけど、肖像権を仰ると掲載を中止せねばなりませんが・・・デジタル技術は、映像の世界にも複製が簡単にできるという側面が大きく影響しています。値打ちは判りませんが、コピーしたい方はどうぞ。但しその結果はご自分の責任で。
思索の紐は終わりがありません。